にーはお。今日は朝から悔しい長瀬あさみです。 寝る前に明日の朝やろう!と思っていたことが出来なかった長瀬。 何をやっとるんじゃ。ホンマ… と思いますが、明日は早起き倫理法人会なので また明後日挑戦します!! 昨日は自社開催、5回目のセミナーでした。 内容はとても良かったと思っています。 参加してくださった方の思いや 将来の姿に合わせて枠の無いセミナーができるようになりました。 応用できるようになったのは、今までの積み重ねがあったからだなと思います。 昨日参加してくださった方の中で 実行実践を徹底してる方がいました。 私はものすごい影響を受けました。 自分も頑張りたい。実践したい。 と勇気をもらえる時間でした。 日々、なりたい自分になれるよう、毎日挑戦したいと思います。 私も変わりたい。もう一回頑張ろうと思える時間でした。 さて、今日は2つ命についての話をしようと思います。 1つは3月16日の今日、祖母の命日です。 3年前に祖母は他界しました。 祖母とは17歳の時に一緒に住み始め7年程しか一緒に住んでいません。 しかも、20歳までとんでもない程、仲が悪かったのです。 本当に家族なのか…?と思えるほど仲が悪く、 もちろん反抗期真っ最中の私は拒絶しかしないような生活を送っていました。 私は一度、小学校の時に母と離れ離れになっています。 1人になった母がどんなに寂しくて悲しい想いをして生きてきたか 祖母はそばで見ていたので、17歳になって突然ひょっこりと帰ってきた私を 優しく受け入れる事は簡単ではなかったようです。 どのくらい仲が悪かったかというと、今の実家は祖母の家なので 「ただいま」と家に入ると 「ただいまではなく、お邪魔しますでしょ。あなたの家にした覚えはありません」 と毎回言われ お風呂に入る時も、毎回300円を支払うというシステムになっていました(笑) 看護師の仕事をし、戦争も経験している祖母は 私のような平和ボケをして夜遊びを繰り返す高校生にとても厳しく接しました。 そんな日々が3年ほど続きましたが ある日突然 「ばーちゃん、末期の膵臓がんやって。余命3ヶ月だって…」 と母に言われました。 どんなに仲が悪くても、家族は家族です。 その日から、暴言を吐かれても何を言われても 笑顔でひつこいくらいに周りの事の世話や言葉掛けをするようになりました。 そして私たち家族は決して諦めませんでした。 奇跡を信じました。たった3ヶ月…そう言われましたが 家族会議で樹状細胞療法を決め、うけるように祖母に勧めました。 樹状細胞療法は、合う人には免疫力がアップして余命が伸びるという療法で 抗がん剤のような苦しい治療ではありません。 まさにイチかバチか。 しかし、奇跡は私たち家族に起きたのです。 抗がん剤から、樹状細胞療法に変えた途端に、ガンの進行がピタッと止まりました。 自分でトイレもいけないくらい弱り切っていた祖母は また自分の足でトイレに行くほど回復したのです。 先生もこんなに身体に合う人はとても稀なケースだとおっしゃっていました。 3ヶ月と言われていた余命宣告から3年半も生きました。 3年間、日本中に温泉旅行に行き、家族の思い出を作りました。 苦しんだのは、最後の1か月だったと思います。 それまで本当に楽しく、仲良く、気が付けば祖母との中も、仲良しになりました。 「かんにんな…明日も仕事やろうから早く帰られ。」 と優しい言葉をくれていたのを思い出します。 当時、私は呉羽で1人暮らしをしていたので毎日はいけませんでしたが できるだけ通っていました。 亡くなる日…私はいつものように病院に行きましたが 明らかに嫌な予感がしました。 何か根拠があるものではないですが…何か嫌な胸騒ぎがしたので 一人暮らしのアパートには戻らず、実家に泊まることにしました。 その夜、その予感が的中し、病院から電話が掛かりました。 すぐに母と二人でかけつけ一生懸命呼びかけました。 脈拍などを測っているメーターのようなものから警報が鳴り 何度呼び掛けても反応はありませんでした。 祖母の手を握り、本当に何度も、何度も呼び掛けました。 どんな形でも生きていて欲しい。 純粋にそう思った瞬間でした。 小さい体で、一生懸命生きた祖母はとても強い人だったと思います。 人にも厳しかった分、自分にも厳しい人でした。 決して痛いとも言わず、治療に耐えた人でした。 そんな祖母のとても、とても小さな呼吸が 本当にゆっくりゆっくり消えてい行くのを 私はこの手のひらで感じました。 「ありがとう」も言えず、 「いかんでよばーちゃん。生きとってよ」とわがままを言いながら泣くだけで、 何にもできませんでした。 私はその時の手の感覚や命が小さく、小さくなっていく感覚を忘れていません。 祖母は私に命という大切なモノを教えてくれたんだと思います。 そして、とても優しい思いやりのある、弱くて、とても強い人だった事を この世を去ってから教えてくれる人です。 どんなおばあさんだった? と聞かれたら間違いなく 「むっちゃ強えーばーちゃんだった」 と答えると思います。 そんな祖母と 「私がおらんくなったらお母さん頼むちゃ」 と約束をしたことがあります。 私はその約束に 「おー(笑)任せて!長瀬の家と墓も継いでおかんも幸せにするから!安心しられちが!」 と答えました。 私はその約束を今でも大切にしています。 今後も、しっかりと大切にしようと心に決めています。 ※21歳の時の写真。母顔出したら叱られるので(笑)
そして2つ目は 中学の時(数ヶ月日本にいた時の話) すごい怖い先輩がいました。 結構やんちゃな中学校だったので もちろん、先輩も怖い人がいました。 帰るとき、先輩につかまらないように裏口から帰ったり 怖い電話がかかることもありました。 でも、怖いけどちょっと憧れていて… 可愛くて、怖いけどカッコよくて…しかもモテる… いいなぁ…と思っていた先輩が 亡くなっていた事を知りました。 26歳で亡くなってしまったそうです。 何にも知りませんでした。 20代で亡くなるのは若すぎます。 悲しすぎます。 人は本当にいつ何があるかわからないんですよね。 改めて命の大切さを考えました。 時間も命も有限なんですよね。 もっともっと大切に生きたいと思います。 ご冥福をお祈り申し上げます。
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